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スペインでの、指圧普及が丁度25年目を迎えるに当たりヨーロッパの指圧の未来展望を少々考えてみようと思います。
ヨーロッパでの壁
ヨーロッパでの指圧治療で最初に突き当たった壁は、ヨーロッパ人の治療における刺激量の加減が、まず第一番に上げられます。実際そのさじ加減には、長年悩まされました。極論を言えば、からだが全く日本人と異なるという事です。日本人は、東洋医学の歴史そのものをしみこませた身体を持っています。すなわち何世紀にわたって、私達のご先祖様が、お灸、鍼、按摩とありとあらゆる刺激を身体に与えてきた結果、そのDNAが、日本人の身体にしみ付いているということです。その点ヨーロッパ人は、治療において外部からの刺激に身体は、ほとんど免疫を持っていません。そんなわけで、治療における刺激量がぴったり合えば、奇跡的な回復を見せる患者さんに遭遇する事がたびたびあります。身体が指圧を受けることにより極端に反応しますのでちょっと習った指圧でも、良くなることが往々にあります。その辺を勘違いして勉強もしないで、ただ圧すだけのマッサージ家さんがはびこり、そこそこに食っていける下地が、ヨーロッパにはたくさんあると言えます。
メンケンが起こりやすいという事実があります。じゃあ、ヨーロッパの人には、弱刺激すなわち弱い圧で治療するのが良いのかという、単純な疑問の回答を臨床を通して、探す事から始まりました。ヨーロッパで指圧を受けると、おさわりマッサージみたいで、どうも物足りないという日本人旅行者のコメントをたびたび耳にします。その意見がその辺の事情を物語っていると言えます。ヨーロッパ人のための指圧治療、その回答がスペインで食っていけるか、それとも尻をまくって日本に逃げ帰るかという、実に切羽詰まった、かつ真に現実に向き合っての、俗に言われる試練の場を切り抜ける事からスタートしたのでした。
初めに、どうしたら弱刺激であっても圧が身体に浸透するかという試行錯誤が始まりました。そんな葛藤の中から最初に、指圧の三原則である持続圧、集中、垂直圧、この単純な原則の中に含まれている濃縮エッセンスを搾り出す作業が始まりました。
鍼と同じ効果を持たせるために、
1 指圧における圧の角度、深さ、そして持続時間(押圧の時間)を、各ポイントにおいて治療を通して統計を取りました。
2 鍼の点に対して、指圧は面を重点におき、例えば、足の三里に鍼を置く効果と同じ効果を出すために、点の代わりに面としてとらえて同じ神経が支配する前脛骨筋に三線を想定してきめ細かく時間をかけて指圧をして、鍼と同様の効果を引き出すためのテクニックを作り出しました。
3 身体における虚実のバランス、上虚下実。習慣による後天における身体のバランスの虚実。そして、生まれつきによる、先天における身体のバランスの虚実。このバランスを、診断法として統計付けました。
4 主に右利きの人の、日常生活における身体の使い方のクセによって生ずる硬結の分布の統計付けをして診断法を確立しました。
5 ツボが集中する関節付近の靭帯、及び腱のための指圧のテクニックを技術習得し、ストレッチングと手技のコンビネーションを治療の義務としました。
こんな事を試行錯誤しながら西洋人のための指圧を作り出してきました。まだまだ充分とはいえませんが、先のめどは付いてきたと言えます。ただ時代がそのときの、そしてその社会を反映した病気を作りますので、指圧も自由自在にそしてバランスの取れた技を作り出していかなければならないということを痛いほど感じています。時代が病気を作る、その真実を謙虚に受け止めて、伝統を守りつつ、新しい指圧を創作するパワーを持った若い指圧師が、常に出てくる土壌を作り出さなければなりません。次世代の指圧師は、柔軟な頭を持ち、色々な方面からの知識を吸収して、バランスを持った、そして医者の世界が認め、そして彼らが協力を要請するような、理論を確立しなければなりません。
日本の動き
次に、日本の指圧の動きを書き進めてまいりましょう。 指圧の歴史を紐解くと決して平坦な道を歩いてきたとはいえません。始めに、前世紀の中ごろの日本における指圧法制化への道のりの話から始めましょう。明治、大正、昭和の初期まで、日本の手技療法は、数多く存在して、全く無規制の状態で混在していました。
そんな時代においても指圧は固有の主体性のある手技療法であると浪越徳治郎先生は、始終一貫主張しました。先生は、この目的を達成するため、いろいろな活動をされました。 そのひとつには、マスメデイアの活用が挙げられます。自ら昼のテレビのワイドショー番組に出演して自らのキャラクターを全面に出し、指圧を解かりやすく、また自らが健康を管理することの重大さを、自己指圧や各疾患のための重要なつぼを取り入れて、ユーモアたっぷりにトークし、日本人の頭に指圧という固有名詞を植えつけました。そしてその人気は絶頂に達したのでした。なかでも指圧が日本の国民を魅了した要因は、やはり先生の時代を読む本能的な勘があったからと思われます。そのいくつかを挙げると、
1学びやすいように教え方を体系化した。
2圧す場所と順序を数字で表した。
3学ぶ人が基本の流れを早く覚え、基本の型を繰り返すことにより今までたくさんの時間を取り勉強した、腹部、背部、前面すなわち全身の操作が、より簡単に学べるようになった。
4患者に危険と思われる手技を学習の過程の中から排除した。
5現代解剖学、生理学など西洋医学に基づいた生徒のための勉強法を考案した。
このような当時としては、画期的な学習法が指圧に存在感と力を与え、徐々に、日本の厚生省に法制化を拒絶できなくさせました。
1955年、念願の法制化が実現した裏には、数々の試行錯誤の歴史があったと言えます。
また一方では、古い東洋医学に根ざす施術師から多くの非難を受けたことも事実です。彼らは、経絡経穴、五行などの昔からある東洋医学療法を無視しているといって真っ向から対決の姿勢をとりました。西洋の解剖学、生理学、病理学を使って近代指圧を発展させたこととのギャップが指圧の道を二つに分けました。その一方のグループの代表が、増永静人先生とそのお弟子さんたちでした。彼らには、新たな指圧の教育法から、経絡を不要としたことが理解できませんでした。玉井天碧らの先達の書を土台にした増永先生の理論は、従来日本に存在した古来の手法にごく類似していました。後に、医王会という指圧の団体を旗揚げし経絡指圧の普及を現在に至るまで続けております。この増永先生独自の指圧は、師匠に数人の弟子がついて、言葉だけの説明ではなく、身を挺した教授が、学ぶものに衝撃を与え、また実演で学んだことを自ら検証できることによりアメリカ、ヨーロッパで禅指圧という名前で拡がっていきました。
徒弟制度は時間を要し、経絡経穴の研究は一人前のプロを育てていくことに時間がかかるという難問題を学校制度での教育という、まさに時代にマッチさせた方法と、指圧の一般化ではなく、指圧の職業としての位置付けにこだわった、両者の理論の違いが指圧の世界を二つに別けたわけであります。
ヨーロッパの動き
ヨーロッパにおける指圧は40年の歴史があります。初めに、ヨーロッパの美容、理髪の学校が教育の一環として日本の指圧に興味を覚えました。そこで日本の指圧の学校にコンタクトを取り二、三の国の美容、理髪関係の学校が指圧の先生を日本より招待してセミナーを開いた事がヨーロッパにおける指圧普及の種まきになりました。しかしその当時、日本で殆どの指圧関係の団体は、海外進出に関心がありませんでした。しかし法制化後、指圧の人気が国内において高まる中、増永先生は逆に西洋に活路を求めました。増永先生の創作した指圧が禅指圧という名で、ヨーロッパ、アメリカで水が真綿にしみこむように広がっていきました。このことは、東洋ブームの波とのタイミングが一致したこともひとつの要因ですが、もうひとつの最大の要因は、ニューヨーク在住の大橋先生が増永先生のパイロット役を果たしたことです。英語を話す同盟者は、海外において、増永先生の指圧を何の苦もなく普及させる役割を果たす重要な鍵を持っていたと言えます。先生は、57歳で癌にて死を迎えるまで、増永流指圧の普及にまい進しました。その後大橋先生とそのお弟子さんたちは、ヨーロッパと北米で禅指圧の普及に努めました。後に大橋先生は、自分の指圧を確立して、OHASHIATSUという流派を旗揚げしました。現在先生はニューヨークを中心にして活動しています。お解かりと思いますが、この禅指圧は指圧界のマンモスであり、日本を除いた世界各国の指圧従事者の8割は、禅指圧系の人たちと言えます。このことは、日本の指圧界の人たちには、到底理解出来ないであろう真実と言えます。
ヨーロッパの指圧の普及初期
禅指圧普及初期段階では、直弟子たちが増永流の東洋医学に基礎を置く伝統を引き継いで普及したと言えます。しかし、時がたつうちにその後継者たちは、指圧を形成するための共通の本体、すなわちベーシックから離れ始め、独自のスタイルを創造するようになっていき、核分裂のごとくたくさんの禅SHIATSU系と称する団体がヨーロッパ中に出現しました。西洋では、この傾向が顕著で、創設者が伝授してそして正当に継承しなければならない様々な技は、成熟することなく、そのルーツを失い始めることが往々にあります。個性とエゴを履き違える輩が出るのは、どの世界でも存在します。そうこうするうちに、40年の歳月が経ち、今改めて増永先生が敷いた正統路線に戻そうという動きが始まりました。すなわち基本に返るという全く単純にて一番難しい見直しが始まったと言えます。
浪越指圧の動き
浪越指圧も日本指圧専門学校(理事長/浪越和民・校長/石塚寛)が主体となり、指圧普及に邁進してまいりました。海外普及は長年単発ながらも日本指圧協会とのコンビで30年位前から毎年外国で国際セミナーを開催してきました。ここ5年浪越指圧ヨーロッパが音頭を取り日本指圧学校の先生を招聘してヨーロッパ、特にイタリアを中心にして浪越、増永のジョイントセミナーを開催して、 浪越と増永の垣根を取り払う事に努力実行してまいりました。急遽リーダーたちが手綱をとって指圧の本来の姿を探求してきたわけであります。浪越指圧は他の流派に敬意を払い奢る事なき王道の道を歩く姿をアピールして来ました。実際指圧の歴史を紐とけば、浪越徳治郎先生及びその同志の人たちの協力により、指圧はあんまや他の手技とは違ったものとして認められています。また、日本では厚生省にて正式に法制化されております。浪越指圧は、心して、道から外れず原点である基本に戻らなければならないと常に国際セミナーで言い続けています。空手や合気道同様、基本の繰り返しは、ことさら意識を掻き立てなくても、実行のみで、真髄に近づく事を可能にします。すなわち、意識の相互関係なしに、体が勘という原始感覚で、直接反応できるようになります。
双方の流派は、それぞれ違った動機で、指圧の世界の人たちに認められております。長い間に、多くの相違点があり平行線を保ってきました。しかし世界中に真の日本の指圧を広めていくには、今こそ互いを理解し、同じ方向を目指しての共同作業が必要なはずです。
スペインの指圧の動き
日西指圧学院では、浪越基本指圧を学ぶことが、初めて指圧を習う生徒の義務としております。また浪越指圧ヨーロッパを立ち上げ、独自のインストラクター制度を設けて、浪越の基本指圧が指圧の原点であることをうたいヨーロッパに同志を募り普及しております。 また小野田茂は、西洋人の身体を考慮し、かつ浪越の伝統をベースにして、彼独自の方法理論を提唱しております。特徴として、西洋人の身体を考慮した、特別の技術の導入があげられます。西洋人を4万時間以上にわたり指圧治療をした体験から、従来の日本の技術に、西洋人のための解剖・生理学に照らし合わせ、指圧の基本操作に修正を加えました。例えば、西洋人の骨格は、極端に腰椎前彎曲の傾向があります。反対に東洋人は一般的に腰椎と仙骨が平坦です。このような根本的な身体の違いを考慮して西洋人の身体のバランスを正常に回復させる技術を研究しました。そして、25年西洋人の身体を研究した結果、独自のスタイルを創設したのがAZEスタイルです。
また、普及のみに目を向けるのでなく、指圧を日本文化の一面としてとらえて、かたくなに進んできました。日本伝統指圧の炎が燃え続くよう、一貫して指圧を日本の文化と位置付け指圧の理解者を増やす事に全力を注いできました。また道を究めるために、精神を鍛えることも指圧師のレベルを保つ上で必要不可欠であると説き、それを実践するためにはどうしたらよいかと、始終、試行錯誤を繰り返してきました。
ヨーロッパにおける教育のギャップ
実際ヨーロッパにおいて指圧を普及するに当たって、最大の問題は、日本との文化的ギャップの違いがひとつとして挙げられます。西欧諸国の文化で際立っているのは、すべてにおいて、論理を優先するということが挙げられます。シャーロック・ホームズの小説のようにすべてにおいて立証が優先する世界であると長年のスペイン生活から実感しております。反対に、この世界での日本の教育は、問題解決の方法として、直感をより重視して、"'「習うより慣れろ」を合言葉に練習を繰り返します。反対に西洋人は、説明に時間をかけて、興味を喚起させ、最初は、頭で理解させる学習法に慣れています。しかしこの方法だと、説明に手間がかかり、練習に時間が割けない欠点にたびたび遭遇します。日本の伝統的教授法は、多くの言葉を弄して教えるのではなく、練習に重きを置き、頭で、確信、理解することなく、おのずと身体で理解するという方法を主に取ります。もちろん先生が教室で実用的ユーモアを用いて教示する事は、大変有効な教え方である事は言うまでもありません。
いい腕を持ってはいるが、その治療について筋道立ててうまく説明できない、反対に、治療についてうまく説明できるが、口ほどに経験をつんでいない。この二つのケースを考えれば、それぞれの長所を考慮して教授する方法は理想と言えます。そして指で押すのではなく、いかに"ハラ"を使うかと言った、いかにも東洋的な発想を正しく理解させて、正しい圧が治療にいかに必要であるかということを理解させることです。この方法を徹底させ中途半端になることなく、自分の道を見つけるべき、方向性を指示することが大事になってきます。"守、破、離"の意味を、学生に徹底的に理解させる事に心血を注がなければなりません。先達の技をよく見る、何が正しいか、自分でわかるようになるまで、師匠を信じ、次に学んだことを絶えず繰り返す、最後に、独自の創造性を持って、指圧師として独自の個性を確立する。そして自分の能力、個性に向いたものを長年かけて、築いていく事が理想と言えます。
指圧の伝道師
世界で指圧の普及に命を削り日夜駆けずり回っている指圧伝道師を紹介しましょう。一番目に、指圧海外雄飛のパイオニアとして、ハワイ愛泉指圧の因泥文彦先生が思い浮かびます。オーストラリアの浦川先生、北米ニューヨーク、OHASHIATSUの大橋先生、カナダ・トロントの斉藤健泉先生、同じくカナダ・ヴァンクーバー・ジャパン指圧クリニックの池永清先生。メキシコ指圧浪越の浅田秀男先生。タオ指圧の遠藤喨及先生。先生は独自の理論でヨーロッパ及びアメリカにたくさんのお弟子さんを持っています。イタリアミラノの瞑想指圧の八尋雄二先生。先生は長年沖ヨガを地盤にして幅広く地道にヨーロッパで普及を続けていらっしゃいます。ヨーロッパ医王会経絡指圧の佐々木一憲先生。先生はイタリア、フランスをホームグランドにして経絡指圧を伝道しています。オランダ・アムステルダムで、長年指圧の教室を開いて指圧を普及している宮下,宮本両先生。フランスの秋田薫先生。群馬の岸先生も数々のワークショップをヨーロッパで開催して、ヨーロッパの各地にお弟子さんがいます。また毎年ヨーロッパに日本指圧専門学校の看板を背おってセミナーに臨む小林秋朝先生と浪越雄二先生。両先生は、熱狂的イタリア指圧師グループの、追っかけがいて毎回のセミナーで数々のテクニックその人たちに惜しげもなく、伝授しています。日本においても日本指圧専門学校の教員木下誠先生、先生にはヨーロッパの指圧のグループが日本を訪問する度にセミナーにて毎回お世話になっております。
このように指圧を愛し、日本の伝統手技療法である指圧の普及に命を燃やす侍が、世界を飛び回っております。
結び
ヨーロッパの指圧は、まさに曲がり角に来ております。言い換えれば、どの方向に歩みを進めるかということにため息を漏らし、そしてその答えが出るまでの間の足踏み状態が今、という状態です。美容に活路を求めて、顔の指圧。痩せる指圧。癒しを前面にうたう指圧。なんでもありの指圧がヨーロッパにはびこっています。しかし、指圧の本来の目的は、癒し、ストレスなどの慰安的要素の高いものではなく、自然治癒力を高め、体からの危険信号である痛みをとる治療が、原点であると私は解釈しております。痛みを取るにはやはり勉強が必要です。そしてたくさんの治療をとおしての経験が必要です。治療経験のない先生が、どうして、生徒を教えることが出来ますか。慰安の仕事は、私たちの世界には、必要ありません。指圧の真の目的は、治療、すなわち患者さんに笑顔をとり戻らせることを通して社会に貢献する、これに尽きると思います。
最後は、精神論まで言及しましたが、ヨーロッパの指圧が指圧本来の哲学をもう一度見直して次のリーダーにうまくバトンタッチする事、これが私達の使命です。日本の指圧界が忘れかけている指圧、そして医療の一環としての手当てがヨーロッパで花開くことを夢見て邁進したいと今新たに思っております。
日西SHIATSU学院 院長
小野田茂
www.shiatsudo.com
www.namikoshishiatsueuropa.com
e-mail: escuela@shiatsudo.com
指圧伝道師
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